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アパホテル 炎上 「南京大虐殺や従軍慰安婦問題」を虚構と否定!

アパホテルの客室備え付けの本の一つ、『理論 近現代史学2 本当の
日本の歴史』の中の一節に南京大虐殺や従軍慰安婦強制連行は虚構であ
るという内容があり、それを読んだとある方が中国SNS「微博」に「アパ
ホテルの客室に南京大虐殺を否定する書籍が置いてある」という意味の
投稿をしたことから、インターネット上で一時的炎上状態となった。

apaホテル.JPG
https://www.apa.co.jp/book/book14

詳細は、その日、アパホテルに宿泊していたアメリカの学生が同書をホ
テルで購入し、彼らが問題だと指摘する箇所を画面に映しながら読み上
げる動画を「微博」に投稿したもので。
2日間で7700万再生を超えたとのこと。

同書は、日本語タイトル側の表紙からめくっていくと日本語で書かれて
いて、反対側の英語タイトルの表紙からめくっていくと、英語で書かれ
ているつくりとなっている。

主な内容はアパホテルグループが発刊する情報発信マガジン「Apple
Town」に掲載されたエッセイをまとめたもの。

投稿された動画の問題とされた部分(英文・英語)の日本語該当箇所は

(以下本文引用)
“「将来的には、五千万から六千万人の外国人旅行者が来てもおかしく
ないポテンシャルがあるのだ。

またインド、中国、インドネシアなど、近隣に多くの人口を持つ国があ
り、それらの国々の所得水準が高くなってきていることも、日本にとっ
ては好材料だ。

『棘』となっているのは、歴史問題に端を発した日中、日韓の関係のも
つれだろう。

しかし中国では南京で三十万人が虐殺されたとか、尖閣諸島は中国領な
どとこれ以上主張しても捏造であることが明からになるばかりと悟った
のか、トーンダウンしてきている」

「中国、韓国にしっかり対応していくためにも、安倍政権が長期政権と
なるべく、私も最大限のサポートをしていくつもりだ」
「論理的に考えればあり得ないことが、歴史として語られている。

例えば南京三十万人虐殺説だ。陥落時の南京の人口は約二十万人、陥落
一カ月後の人口が二十五万人というのがわかっているのに、三十万人を
虐殺というのは計算が合わない。

朝鮮半島で慰安婦にするために二十万人も強制連行したのであれば、
それに対する抗議の記録が少なくともいくつかは残っているはずだ。

しかし全く存在しない。つまり南京事件も慰安婦強制連行もなかったと
いうことだ。

しかし中国も韓国も自分たちの行動を棚に上げて、これらの虚構に基づ
く日本への非難を繰り返す」
「しかし南京大虐殺や従軍慰安婦強制連行の虚構を中・韓が主張し続け
るのは自国の国益のためであり、それは国としてある意味当然の行為だ」
“(ここまで本文引用)






動画内では投稿した学生が、「彼には自分の本をホテルに置いたり言い
たいことを言う権利はあるが、彼の政治的思想を知らない中国人客から
お金を取っているのは不誠実」「彼の思想を知った上で宿泊するかどう
か決めるべき」と言うような意味のことを語っている。

そして動画が投稿された「微博」は、「中国人はアパホテルに泊まるべ
きではない」という意味のコメントで埋め尽くされた。

動画が投稿された日の翌16日、深夜からアパホテルのサイトにアクセス
できない状態が続いていた。

取材の日、17日「アパホテル 池袋駅北口」のロビーでは、中国人旅
行者数名が何事もなかったように談笑していたのは事実である。


追記 アパホテルホームページに南京大虐殺関連の記事がありましたの
でここに。

〈アパホテルホームページ引用〉
二、南京三十万人大虐殺

 中国は日本軍が南京で三十万人を虐殺したと主張しているが、そもそ
も当時の南京市の人口は二十万人であり、三十万人を虐殺し、その一ヶ
月後には人口が二十五万人に増えていたなどあり得ないことだ。

しかも国民党中央宣伝部に雇われていた二人を除いて、欧米人など第
三国の人が虐殺を目撃した日記も手紙も写真も、記録したものが一つ
もないことなど、更には、上海大学の朱学勤教授が「いわゆる南京大

虐殺の被害者名簿というものは、ただの一人分も存在していない」と
論文で発表したにもかかわらず、辞職もさせられていないことなどか
ら、いわゆる南京虐殺事件が中国側のでっちあげであり、存在しなか
ったことは明らかである。

 そもそも日本軍が南京に侵攻したのは、一九三六年、張学良が蒋介
石を西安で拉致監禁した西安事件をきっかけに、コミンテルンの指導

で第二次国共合作が成立したことで、国民党政府軍は中国共産党への
攻撃をやめ、国民党政府軍に共産党勢力が入り込み、日本軍を挑発し
て、日本を戦争へ引きずり込んでいったことが背景にある。

1937年7月7日、中国盧溝橋付近で北京議定書に基づき合法的に駐留し
ていた日本軍の軍事演習中に、日本軍とその近くにいた国民党政府軍
の双方に対して実弾が発射されたことをきっかけに、戦闘状態になっ
た(盧溝橋事件)。

この双方への発砲は、後に中国共産党国家主席となった劉少奇が指示
したものであることを、彼自身が告白している。

事件不拡大を望んだ日本軍は、その四日後には停戦協定を結んでいる。

しかし、日本を激怒させ国民党政府軍と戦争をさせる為に、同年七月
二十九日、中国保安隊によって日本人婦女子を含む二百二十三人が残
虐に虐殺された「通州事件」や、同年八月九日に起こった「大山大尉

惨殺事件」、更には、同年八月十三日、国民党政府軍に潜入していた
コミンテルンのスパイである南京上海防衛隊司令官の張治中の謀略に
よって、上海に合法的に駐留していた日本海軍陸戦隊四千二百人に対

して、三万人の国民党政府軍が総攻撃を仕掛けた第二次上海事変を起
こすなど、中国は日本に対して次々に挑発を繰り返し、それまで自重
し冷静な対応を取っていた日本も、中国との全面戦争を余儀なくされ
たのであり、不当に日本が中国を侵略したわけではない。

上海事変で勝利した日本軍は、敗走する国民党政府軍を追撃し、国民
党政府の首都であった南京を攻略し、同年十二月十三日に南京占領。

このとき敗残兵が住民に対して略奪、虐殺を行なった。それらの敗残
兵が民間人の衣服を奪って便衣兵(ゲリラ)となったことから、日本
軍は便衣兵の掃討作戦を行った。

便衣兵(ゲリラ)の殺害は国際法上認められているものであり、一般
住民を虐殺したのはこの敗残兵達(督戦隊が撃ち殺したのは、逃亡中
国兵であった。)であった。

しかし、こうした事実が歪められて、情報謀略戦として、「南京三十
万人虐殺説」が流布されたのである。

そもそも既に南京を攻略した日本軍にとって、南京で虐殺行為をする
理由はない。一方、通州事件や大山大尉惨殺事件、第二次上海事件な

どでの日本人に対する残虐行為には、日本軍を挑発し、国民党政府軍
との戦争に引きずり込むというコミンテルンの明確な意図があったの
である。






理論 近現代史学

数々の事実を付き合わせ、あり得ることかあり得ないことか考えて、
矛盾なく、理論的に説明ができる近現代史が、理論近現代史である

「南京大虐殺」が「虚構である」証拠の数々

1.まず、「『南京大虐殺なること』に関する『犠牲者名簿なるもの』
は唯の一人分も無い。」(上海大学歴史学部・朱学勤教授による。

平成十九年十二月二十日付産経新聞)。
この一点だけ捉えても「南京大虐殺なること」が如何に荒唐無稽な
作り話であるかは既に立証された様なものである。

(仮に、「南京大虐殺」なることが真実であるならば「三十万人」
という数字の何割かの「犠牲者名簿」が存在しないはずがない。)

2.「南京大虐殺」の犠牲者は、「三十万人」ということになってい
るが、日本軍が南京を制圧した昭和十二年十二月十三日当時、

南京市内には、約二十万人の民間人しかいなかったという記録が
あり、併せて、約一カ月後、昭和十三年一月十四日の時点では、

人口が五万人以上増えて、約二十五万人~三十万人になっていた
という「南京安全区国際委員会記録」が残っている(田中正明著
『南京事件の総括』二十九頁)。

3.日本軍が南京を占領する約一カ月前、昭和十二年十一月より翌
年の九月迄、蒋介石率いる国民党は、ほぼ毎日の様に、欧米の

マスコミ関係者を集めて、記者会見を開き、日本軍に対するイメ
ージダウンの目的で、日本軍の不法行為等について嘘八百の発表、
宣伝工作を続けていた。

そして、その回数は延べ三〇〇回にも及んだという。処が、当時、
国民党は「南京大虐殺」などという事を一度も言ったことが無か
ったという。

何故か?それは、その様な事は全く起きていなかったから言わな
かっただけである。仮に、当時、南京で「大虐殺」が起きていた
ならば、其の事を其の記者会見の場で取り上げないはずがなかっ
たであろう。

4.「南京大虐殺記念館」等に展示されている写真は、全て合成写
真または、「通州事件」等、中国人が日本人を虐殺した写真を始
めとする、全く別の写真であることが、東中野修道教授(亜細亜
大学)によって証明されている。

もしも、南京大虐殺なる事が真実であるならば、その証拠写真が
一枚も無いはずがない(東中野修道・小林進・福永慎次郎共著
『南京事件「証拠写真」を検証する』草思社)。

(所謂)「南京大虐殺なること」が有ったと問答無用で決めつけ
たのは、「極東国際軍事裁判」(所謂)「東京裁判」の中である。

それでは同裁判の内容は一体如何なるものであったのか?  
東京裁判を傍聴した冨士信夫氏は、『南京大虐殺はこうしてつく
られた』(展転社)の中で、「南京大虐殺」なることが全くの虚
構であることを裁判記録として記している。

5.朝日新聞は昭和十二年十二月二十日の朝刊半頁を費やして、
『甦る平和都市南京』と題する(平和この上ない、当時の南京の)
写真特集を掲載している。

この風景こそ虐殺否定の何よりの証拠と言えよう(『南京大虐殺
の総括』三十二頁)。

6.「南京に大虐殺が有ったと言う様な記録は、中国側の第一級公
式資料である何應欽上将の軍事報告の中にさえ、その片鱗も見出
せない。」(『南京事件の総括』八十二頁)。

7.「当時、朝日、東日、読売、日経、など全国紙の各支局を始め、
地方紙や通信社も、南京に特派員を派遣していた。

これらのプレスマンが異口同音に言うことは、『東京裁判で、南
京でのあの様な事件が有ったと聞いて驚いた。』」(同百十一頁)。

8.「中国国民党が、作り話を含めて、日本軍の不法行為を糾弾す
る為に、1938年7月7日、国民党の中央宣伝部が「印刷」した蒋介
石の『国民に告ぐる書』のどこを探しても、そこには『南京大虐
殺』の文字は見当たらない」(同二百九十六頁)。

その他、多々ある。
ここまで〈アパホテルホームページ引用〉


あとがき

引用文中の『つまり南京事件も慰安婦強制連行もなかったということだ。』
この部分に対してすべてを肯定することは私にはできません。

なぜなら、わたし自身、数年前にネット情報のみではありますが、二日ほ
ど検索し続け得た情報では、南京虐殺も慰安婦強制連行も確かに有ったと。

南京虐殺については、数十人規模で行われたことが証言や文献から見て取
れました。(市民の姿をしていた、便衣兵(ゲリラ)の可能性が高いが)

また慰安婦強制連行についても、日韓併合の元、軍属が中心に行われたと
いう証言や文献があるのも事実です。

それらの事が、史実となってしまった現代において何の損害賠償????

大日本帝国の戦争賠償と戦後補償はサンフランシスコ平和条約において
全て解決済みのはずです、その後に提起された賠償問題は、日本国の善意
・誠意・優しさで処理されてきています。

なぜ、なんどもこんな問題が起こるのか・・・(人の欲望に際限がないゆ
えか!)
追記
日本の戦争賠償と戦後補償についてはこちらのWIKI参照
http://qq4q.biz/BfQY


引用http://biz-journal.jp/2017/01/post_17773.html
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