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釈由美子 ブログ 剣道との出会い

女優の釈由美子さん!剣道初段!
ご自身のブログによりますと

幼いときの父は厳格で
「口を開けば、ダメ出しばかり」で、
一度も褒められた記憶がない。
そんな父に
頭を撫でて欲しくて
必死で勉強を頑張ったし
学級委員長にもなったし
古風な剣道部にも
入部して、部長になりました

しかも中学時代はキャプテンだったとか!
以下釈由美子オフィシャルブログコピー
となりますが、一部抜粋などしてしまうと
ご本人の意図とかけ離れたものになる恐れが
ありますのであえてコピペ記事とさせて
いただきます。

(2013/2/19) 

私は、四姉妹のなかで
いじられキャラで

やれ、
「ゆみは橋の下から拾ってきた子だ。」
とか

「一番、生意気だ。」

と、なじられたものです


「その点、恵美は、
誰からも好かれるイイコだ。」

と、
妹ばかり褒めていました


私は、幼少のころ


父から、褒めてもらった記憶が
これっぽっちもありません

一度でいいから

「ゆみも、やればできる子だ。」

と、頭を撫でて欲しくて

必死で勉強を頑張ったし
学級委員長にもなったし


古風な剣道部にも
入部して、部長になりました

でも、
やはり、言葉で褒めてもらったことは

デビューして16年経って
仕事をどんなに頑張った今でも


一度もありません。


父は、そういう漢なのです

そんな父が、

かわいい
かわいい

と、幼少のころから連呼していた
三女が

釈家から嫁いで
お嫁に行くことになりました

ようやく、妹も

幸せになって落ち着くのかという
安堵感と
やはり、娘が嫁ぐ寂しさとで

複雑そうな父の表情を

ずっと隣でみてました

最後の両親への手紙や花束贈呈は

妹も母も
泣き崩れていました

が、父は泣きませんでした

父は、そういう漢なのです

(*´ー`)ノ

そんな父が、

たまらなく大好きなんです


(2013-11-24)
11月24日は、父の誕生日です

今年、65歳になりました

見た目は、頭が寂しくなったの以外は
あまり変わらないのですが

中身は、だいぶ丸くなりました

幼少の頃、厳格な印象しかなかった父は
昭和の男で、多くを語らず

口を開けば、ダメ出しばかり

一度も褒められた記憶がない
威厳のある、父でした

そんな父に、少しでも認められたいと

勉強を頑張って
学級委員長にもなって
男前な剣道部にも所属しました

いわゆる、優等生な小中学生でしたが

見向きもされず

物心ついたころから
バカだ、ブスだと言われ続けていたから

四姉妹のなかでも
私だけ、圧倒的に写真が少ないのも頷けました

父の唯一の望みは
“釈”の名前を残すために

オトコのこが欲しかったそうです

だから、

4回頑張ったのです

四女が産まれて性別を看護師さんから
聞いた瞬間、

うなだれていました

でも、ほんとは
どっちだっていい

すごくすごく嬉しかったということは

子どもゴコロに、すぐわかりました

夏休みには、山登りに
冬休みには、スキーに

6人家族を毎年旅行に連れて行ってくれたこと
今でも、本当に感謝しています

多くを語らない父でしたが

背中を見るだけで
父の愛情深さが伝わりました

娘が、みんな成人し
社会人になってからは

家族揃って、旅行に行くこともなくなりました

波乱万丈な釈家で
不安定な精神状態を、
両親も子どもたちも強いられ

家族のバランスが、
おかしくなった時期もありました

姉が早くに結婚し、子どもができてからは
親の気持ちが理解できるようになったのか

姉は、両親との関係も
穏やかになりました


私は、特殊な世界に感じられた
芸能界に入り

怖くて、心細くて、孤独で


誰が味方で
誰が敵なの


一番甘えたかった家族にも

絶望や失望感が積み重なり
心を深く閉ざしていました

父は、その頃から

「調子にのるな。」と

お酒が入るたびに、からんできました

私は、うんざりして
暴言を吐いたりもしました


あんなに厳格で、威厳のある父が
弱々しく、情けなく感じて

それが一番、悲しかったのです

自営業の両親の経済的負担を
私だけに背負わされ

もし私が普通の仕事をしていたら
こんなに心が壊れることもなかったのか、と

悔やまれることもありました


今思えば、芸能界でたまたま運よく
お仕事が続き

突然、ちやほやしてくれる大人に囲まれ
思いあがっていただけなのです


なんて、愚かな20代だったのだろうと
若気の至りを恥じています

大好きなのに
憎たらしくて

私にとって、父親は
自分の心を映す鏡のような存在でした

そんな父が

65歳になり、今年から仕事もリタイアし

家でわんこたちと
のんびり過ごすようになりました

学生時代、登山部だった父は

当時、日本のアルプスの山々を
何週間も縦走して攻めたと
誇らしげに語るようになりました


あんなに、無口だった父が
嘘みたいに

山の話になると、止まらなくなるくらい
饒舌に話すのです

それも、私が今年の4月から
NHKで山の番組のMCを務めさせていただくご縁ができてからです

あんなに犬猿の仲だった
父と私が

“山”という共通の趣味で

今は、ふたりきりで山登りに行くようにもなりました


母親が、誰よりも一番驚いて
喜んでいます

そんな父の誕生日。

都内から100キロ以上離れたところに
いま両親が暮らしていて

昨日の握手会イベントを見に来ていた母を
送りがてら

父の誕生日プレゼントを
こっそりトランクに隠して

高速を走りました

夕方までずっと立ちっぱなしの
握手会のあとだったので
疲れも想像を越えるものがありましたが

大切なひとに喜んでもらえるなら
なぜか底力がわいてくるのです

本当は、誕生日当日の今日でもよかったのですが

あいにく今日は仕事だったので
前日の夜しか、
お祝いする時間が取れなかったのです

誕生日プレゼントは

悩んだあげく…

石井スポーツ登山本店で
1~2人用のコンパクトなテントにしました

父がずっと欲しがっていて
だけど、値段も張るからと

いつも、地方のホームセンターのキャンプ売り場をウロウロして

しょぼーんと帰っているのを見ていたのです

「俺が若いとき使っていたテントと
重さが全然違って、やっぱ軽いな!」

と、子どものように
はしゃぐ父。

テントの中に敷く、マットも
プレゼントしました

でもあえて、冬用のシュラフは
買わなかったのは

テントと寝袋があると
ほんとに、雪山にこもって帰ってこなくなると
危惧したからです

父には、無茶はして欲しくないので

「来シーズンに使ってね。」

と、釘を刺しました

今年の紅葉シーズンには
奥穂高を、父1人で登ってきたので

「来年は、涸沢にテントを張って
一緒に登りたいね。」
って言ったら、

黙って頷いていました

握手会のあと、腹ペコだったこともあり

親子3人で
焼き肉やさんで、お祝いしました

父は、キムチとカルビを
こよなく愛しているのです

どんなに気持ちを込めて
お誕生日をお祝いしても

父の口から
「ありがとう」なんて言うはずないんだけれども

それでも

それでも

ずっと、父の誕生日を
毎年、お祝いし続けたいと思います

お父さん

お誕生日おめでとう。。
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